「今度介護保険料が上がって、給料が上がるんでしょう」と言われた。新聞には、介護報酬を3%上げて介護職員の給与を2万円上げると書いてある。
でも考えて欲しい、介護報酬は2003年に2.3%、2006年に2.4%下がっている。合わせて4.6%下がっているということは、3%で2万円上がるのならすでに3万円分下がっているということじゃない。また下がるかもしれないのに、経営者は給料を上げるでしょうか。
給料が上がるから良かったねと言いたかったのに、怒ったように返事してしまったと反省して帰る。

娘夫婦と孫夫婦と同居している女性。訪問の度に「娘たちは食事も作ってくれないし、掃除もしてくれない」と隣の部屋の娘たちに聞こえるように大声で愚痴る。「性格が悪いとわかってたんだけど、妹夫婦の生活が苦しいものだから養女にしたのが間違いだった。せっかく相手を見つけて結婚させたのに、子供を置いて駆け落ちして、私が孫を育てることになった。おじいさんが死んだのを見はかったかのように夫婦で戻ってきて、勝手に家を建て替えたものだから住みにくい。孫たちも、母親に似て私の面倒を見てくれない」
2階建ての立派な家に5人で住みながら、孤独だということは、身寄りがいない人よりも寂しいのかもしれない。
「病院に行く日を相談していたら、ヘルパーさんと○○子がけんかして、話にならんのだ」とご主人から電話が来ておずおずと玄関を入る。「お父さんが、ワシはわからん。あっちに行けと言って怒っとんのだ」と奥さんは困った顔で立っている。「わしは、ボケて来たんかいな。話がわからんようになった」とお父さんは座っている。
4日前に訪問した時、息子があさって帰ってくるんだ。正月に仕事があるから早めに帰ってくると楽しげに話していた。その翌日、介護タクシーの会社の人と訪問して打ち合わせる時に、息子さんが帰ってきた。電話で話を聞くと大変そうで繰り上げて車を飛ばして来た、予想以上に元気そうな両親を見て安心したと言う。
一昨年亡くなった長男と名前が一緒だといつも歓待してくれる夫婦。今日の電話は、次男が帰ったための寂しさからなのかと思いつつ、いつでも来るからねと言って家を後にする。

そして今夜も電話してきた。「Gの小文字がウチのパソコンは出ないから見れないんだよ」「え?こないだ見れたんでしょう?」「それが今日はGの小文字が アリがクネクネしてる文字みたいになっていて出ないんだよ、どうして?」
・・・ご質問の意味が分かりません(-_-)

ボジョレーが解禁。クリスマスもすぐそこだ。事務所の入口にリースを飾る。やはりミーハーなんだ(>_<)

息子夫婦と暮らしていた男性。借金とりから逃げるようにして転がり込んだ。嫁は部屋の中に入らないから足の踏み場もない。臭いもひどい。息子夫婦は邪魔者扱いしているのだと思っていた。
呼吸不全になり入院して、医者からタバコをやめるように言われたので小遣いを取り上げられた。デイの灰皿から吸い殻を持って帰ったり、ショートステイの荷物の底にタバコを隠し持ち、トイレで隠れて吸っていた。相談員とととも息子夫婦と相談した。年取ってから楽しみを取り上げるより、1日に1、2本タバコを吸わせてあげたらどうでしょうと提案したところ、息子は、父には少しでも長生きして欲しい。自分がタバコを吸っているから父がタバコを吸うのなら、私も禁煙しますと、翌日からタバコを吸わなくなった。
タバコを吸わなくてどのくらい長生きするのかわからないが、本人は現在肺炎で入院してタバコどころではなくなっている。
私は、1日60本吸っていたが、禁煙してから太りだし、今ではメタボリックは長生きしないと医者から言われている。
人と人には相性がある。友達やサークル、恋人なら互いに選べるけど、学校の先生と生徒、上司と部下など選べない時に相性が合わないと互いに不幸だろうなと思う。
男性週刊誌の「イブニング」に連載されているコミック。今度単行本になったのは、認知症になった男性から見た世界を描いている。1972年に「恍惚の人」が発表されて世の中をにぎわしてから35年、介護がコミックになって週刊誌に連載されることに時代の変化を感じる。
この本は、認知症の人が家族にいない人のほうが役に立つと思う。というのは、今介護している家族が望んでいるのは、なぜ徘徊するかという理解の前に、徘徊をしなくなって夜熟睡したいと言うことだから、この本を読んで考える余裕はない。
余裕がないのは介護職員も同じで、「もっと話を聞いて、ゆっくりと介護したいのに、人が足りない。1人での夜勤は怖い」と若い職員は嘆く。介護する職員にも余裕ができるような制度になればいいのだけど。
「蛭子」は、エビスとヒルコのふた通りの読み方がある。さぬき市の神社はどちらの読み方かわからないが、鹿児島県国分市にある神社は「ひるこ」神社と読んで、言い伝えがある。
イザナミとイザナギが生んだ子供は3歳になっても、体がグニャグニャで歩けなかった。そこで、2人は、子供を蛭子命と名付け葦船に乗せて霧島の天降川に流した。やがて葦船は河口の国分市に流れ着いた。たどり着いた所が蛭子神社で蛭子命はおおきくなってスサノオと呼ばれた。
ヒルコは脳性麻痺の子供だったと言われている。障害児であるヒルコがなぜエビス(恵比寿=商売の神様)になったのかは色々な説がある。一つは、障害児が生まれた家は、子供が大きくなって両親が亡くなった後困らないように仕事に励んだのでお金持ちになった。障害児のことを「福子」と呼んだ所もある。もう一つは、神社の前では市が開かれることが多かった。その店の中に障害児たちが出る見せ物小屋もあって、物珍しさからお客がたくさん集まった。それでお客を呼ぶという意味で恵比寿と呼ばれた。農業や工業などの仕事ができない障害者がお金を儲けるための一つの職業だと説明する人もいる。
両親がお金持ちになれた子も見せ物小屋で生活できた子もごくわずかで、殆どの障害児は近所の人に見られないように家の奥で生活させられていた。数年前に訪問した家でも、薄暗い部屋で枕元におにぎりを置いて、尿と便でぶかぶかになった畳と布団で暮らしている老人を何人か見た。
蛭子神社のいわれを考えながら、南野洋子や松野明美の子供のドキュメンタリーを思い出した。
♪淡紅(うすべに)の秋桜が
秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている
此頃、涙脆くなった母が 庭先でひとつ咳をする♪
久しぶりで晴れた日に事務所にくすぶっていることはない、と溜まった書類を机に置いて訪問に出かけた。2色のコスモス畑を見つけた瞬間、頭に浮かんだのは山口百恵の歌ではなく、3色弁当(^_^)v
去年、デイサービスからあわてて電話があった。◎◎さんがクリスマスの飾りを食べてしまった。どうしよう! 飛んで行くと、看護婦が口から白い発泡スチロールを掻き出している。殆ど出ているようなので、医師に確認してから、息子さんに来てもらった。
息子は、丸い飾りを手に持って、おいしそうなお菓子に見えたのかなと笑った。
車のラジオから、「北海道ではご飯にミルクをかけて、漬け物と一緒に食べる。お茶漬けみたいにミルク漬けが普通なんだと」という話が流れてきた。
先日、認知症の男性がご飯に牛乳をかけて食べていたとヘルパーさんから報告があった。食べ物の区別が付かなくなったのか、味覚がおかしくなったのか、サービス担当者会議の話題の一つとした。麻婆豆腐を食べなかったことなとが話題が出てきた所で、ご飯の時にお茶みたいに牛乳を飲むよね。ひょっとしたら、お茶と間違ったのかもと、話が収まりかけた所で、参加していた家族の一言、「許す!」でみんな納得した。
変な行動なのかどうかは、周りの人が受け入れてくれるかどうかによって決まる。香川県のあんもち雑煮を他の県で作ったらきっと変な料理だと思われる…と、思う。
おまけに、組み合わせがおかしいと言えば、犬の名前が猫というのも変だよ。http://osaka.yomiuri.co.jp/animal/genre1/20081107-OYO8T00286.htm?from=iphoto
「犬神家の一族」の犬の名前が三毛、という冗談が前にあっけどね。

義母は、長谷川式のテストで満点が取れなかったのがショックだったようで、電話でも元気がない。このチャンスを逃がす手はないと、家に閉じ込っていないで外へ出て人と話するのが一番頭を使うから、デイに行ってみたらいいよと、言うと「そうかね」とまんざらでもない様子。ケアマネに、2箇所ほどのデイを勧めてくれるように頼んで、返事を待つ。ヘルパーさんが来ているデイなら行こうかなと言う。お父さんが行っていたデイケアは、重たい人ばかりだからね、ってそれはないだろう。来週見学にいくと言うのを、善は急げと言うからと、二日後に見学に行かせることにした。ケアプランを作って、契約をしてと大変なのはわかっているが、嫌だと考える暇を与えないことがこの場合はよい。見学の日に、娘と孫が途中から見に行ったら、まんざらでもなさそうな顔で、ここのご飯はおいしいけど幼稚園みたいなことをさせられてと言う。
孫が言うことには弱いのことはわかっているから、あのね、あれは頭の体操で認知症の予防になるからとと説明すると、じゃ頑張らないと満面の笑み。
ということで、義母はデイに通うことになった。
それで私はというと、今日は一歩も外に出ていない。今日の占いでは、四柱推命で最高の運勢なのに、何も起こらないではないか。
ということで、ブログのデザインをちょっと変えました。
性格のためか何回言っても 聞いてくれずに、何度も同じことを聞きに来て困ります。
認知症の方が利用したショートステイ施設からの連絡に書いてあった。毎月の訪問では、「久しぶりやの。会いに来てくれるのは○○さんしかおらんから」と喜んでくれる。でも、デイケアに週6日通っているから、私より出勤している。誕生日に訪問して、今日は何月何日?と尋ねると、 「今日は何月何日や?」 と嫁に尋ねる。「▲月■日じゃない。新聞を読んでるでしょう。お父さんの誕生日じゃない」、 とお嫁さんは声を掛ける。また、「誕生日はいつですか? と尋ねると。「わしゃ 明治●年▲月■日だ」と流ちょうに答える。じゃ、今日が誕生日ですねと言うと、「ほうか。今日は何日だ?」と息子に尋ねる。
なんでわしゃここに泊まらんといかんのかの? と何度も職員に尋ねに来るのは、性格のせいじゃない。まだ、ここが自宅じゃないとわかるだけ良いと思うのだが。



漁師の人からイカをもらった。 つかむと吸盤が手にくっつく。料理のレパートリーは少ないが、和食の魚料理は何とかできる。というのも、「お魚便利帳」というアンチョコをもらっている。「たこは、塩で揉んだ後、足を指ではさんでキシキシというまでこする」と感覚的にわかりやすい。
男性高齢者が料理を始めると、レシピ通りに作ろうとする。今までしてきた仕事と同じ方法で完璧を目指して、科学の実験に近い、と女性の講師は説明したが、失敗したくないのが男の本音だ。アンチョコとは教科書の解説書のこと。「安直」が語源だというが、このアンチョコのおかげで、イカ刺しとゲソのバター焼きができた。


なんの思いつきか、お国からお年玉があるそうですね。天気の良い日は、洗濯して布団干している内に掃除機かけて、撮りためビデオを観ながらアイロンをかけたら図書館と書店に出掛けて行く。
「のぼうの城」は、石田三成が落とせなかった忍城の総大将成田長親の話。開城を迫る使者に、「武ある者が武なき者を足蹴にして、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これがひとの世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」と言って、戦いを宣言する。
近年の政治や経済は、新自由主義という考え方で動いている。「自分のお金を、自分が自由に使う。チャンスを生かしてお金持ちや出世するのがいいことで、そうできない者は努力が足りない」と言う言い方で表現される。自己責任、自己負担などの形で介護保険にも導入されている。長親はそんな考え方はおかしいと言っている。
「この国は議員にいくら使うのか」は読んでいると段々腹が立ってくる本。もっとましな議員が出てこないかと。そんな期待から「のぼうの城」が読まれているのかもしれない。