2009年4月11日土曜日

カエル

「師走の蛙は、寒蛙(考える)」は大橋巨泉の言葉だけど、前回の「怒り」の原因を考えてみたい。

介護保険が始まってすぐの頃、私は訪問調査をしていた。あるグループホームに入所している女性から認定取消の申請書が届いた。自分は痴呆ではない。だから介護は必要ないので認定を取り消して欲しいという意味の事を自筆で書いてあった。上司である係長は、これだけの文章が書けるのだから痴呆ではないと申請を認めて認定を取り消した。その結果、グループホームの費用は自費で支払い退所になった。

この女性にはあきらかな物忘れがあった。以前女学校の教師をしていたので文章力はある。認定の取消ができることは介護保険証とともに文書で説明してあったから、申請書を書くことは可能だった。彼女はグループホームでは問題児だった。プライドが高く、デイケアにも行かなかった。グループホームに入所していても、重度痴呆と医師が診断すれば医療で行われるデイケアには行くことができる。彼女は、自分が痴呆の年寄りと扱われることに我慢ができなかっただけなのだ。

彼女は自宅に帰ったらしい。そして再度認定を受けてヘルパーの支援で生活できた。

彼女と前述の男性の違いは、帰る家があること。年金がある。自分の気持ちを市役所へ書いて遅れる表現力があること。認知症がない男性よりも多くの選択肢を持っていた。

住んでいる家が取り壊される。代わりの家をすぐに探すことができない。頼る家族も親族もいない。お金は生活保護の中で融通付けないといけない。包括支援センターのケアマネは、選択肢を意識的に少なくして、自分の考えたケア(認知症もないのに、それも今の住所から遠く離れたグループホームへの入所がまともなケアだと思えないが)に追い詰めたのだ。

福祉の援助は、人並みの生活を送るための方法を選ぶことが難しい人に、自分の意思で選べる選択肢を増やすことだと思う。たとえ、選択肢が少なくても、時間を掛けると選択の幅は広がる。男性がグループホームに入所した後で、公営住宅やケアハウス、養護老人ホームなどへの転居の機会が与えられることを願うしかない。

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