2010年9月29日水曜日

嫌な客!

レビー小体が疑われている義母の介護認定が、変更申請してから一月以上経って、漸くおりた。要介護2。以前が要支援1だから、日頃の様子を家族が伝える事の重要性を感じるが、そのような事に左右される危うさも感じる。
新しいケアマネがケアプランを作った。デイを変えて週3回に増やし、新しいヘルパーステーションから朝昼夕深夜に訪問する。アリセプトも始まった。
義理の兄夫婦が立ち会って決めたとファックスがきた。

ヘルパーの訪問を増やすのは、今までしていたことを取り上げるのは更に喪失感を味あわせることになり、より多くの他人が家に入ることを意味するから泥棒が入るという被害妄想が強くなることを意味する。それで、ヘルパーの訪問回数を減らすよう頼んだ。深夜の訪問は、1回しか計画していないが、今まで何度も夜中に警察に電話したことを考えるとどれだけ電話してヘルパーにきてもらうことになるのか予想できないから、削除。新しいデイは、認知症を隠そうとしている義母には、また新しい人にどうやってしっかりしていると見せる努力をしなければならないことを強要するから、今までのデイのままでよい。レビー小体がた認知症にアリセプトを投与するのは、脳の興奮から攻撃的になったり夜間の行動を活発化させることなどの恐れがあることなどを伝えた。

義理の兄たちが帰ってから、電話がしきりと掛かってきて、なぜ違うヘルパーが来て料理するのか。自分は何でもできる。お金がない。だれも私に説明してくれないとしきりに訴える。アリセプトを飲み出して5日目、ついに通帳とお金を盗ったでしょうと一防滴に怒鳴る電話が来た。翌日は、何もない。私はご飯も食べていないと悲しげに訴える。隣の人は、深夜に仕切りと動き回る音がしていたと連絡が来た。

ケアマネにアリセプトを中止したいと伝えてもらっても、任せてくれの一点張り。仕方なく、医師に連絡して服薬をやめるとつげて同意してもらった。ケアマネに服薬中止を伝えると、不満そうだが、他人には良い顔をするから副作用症状が理解できてないようだった。

きっと、ややこしい家族だと思われているなと思うが仕方ない。

2010年9月24日金曜日

無力

義父が先日から熱がなかなか下がらず、今日になって胆石が見つかった。日頃なんの親孝行もできてない私たち夫婦が病院に駆け付けると 義父はニッコリし、義母は「胆石が見つかってね...」と言う。「熱の原因が分かってよかったね」と言うと「そうね、そうね」と少しホッとした顔をする。
両親はまだ若い、しっかりしていると思っていたが、それでもこんな時は不安そうだった。当たり前のことなのに 義母の様子に つくづく思う。数ヶ月前、実家の父が皮膚癌と言われ、手術をすると聞いたとき 母が「簡単な皮膚移植で完治するらしいから大丈夫」と言った言葉を鵜呑みにして「何かあったら知らせてよ」とは言っても 結局病院へは行かなかった。あの時どんなに母が不安だっただろう、と今になって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
今日 病院へ駆け付けても 入院の準備を手伝っただけ。実家の親には電話で様子を聞いただけ。いつまでも親孝行の一つもできない自分が恥ずかしくなる。
主人の両親とは近くに住んでいながら 自分はこんな程度なのに、まして利用者の家族に「あの家族は自分の親の介護に消極的」などと とても言えない。

2010年9月20日月曜日

恩返し

最近 地デジ対応に買い替えたのか、裏の家のテレビの音が大きい。ニュースやドラマや 何を見ているかもハッキリ聞き取れる。時折、テレビを見ながらの笑い声が聞こえたりして 笑いのツボが同じだな、と妙な所で親近感が沸く。
思えばこの家に住み始めて20年になるが、裏の家とは全く付き合いがない。20年前、まだ子供が小さくて大声でよく泣きわめいていた。子供を叱る声も 夫婦喧嘩の罵声も 全部聞こえてたんだろうな。ドタバタと子育てをしている私たちは どれだけ裏の家に騒音をもたらしていたんだろう。それでも一度も苦情を言われることもなく、ただ黙って見守ってくれていたんだろうな。20年が経って、子供を叱ることもなく 夫婦喧嘩をする元気もない私たちが 今度は高齢になって耳が少し遠くなったであろう裏の家のご夫婦を見守る番だ。
今朝も大音量でニュースを見ている。今朝も ご主人が奥様を呼ぶ声がする。「アッコさん、アッコさん」
アッコさん(推定80歳)が元気に返事をすると コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる私は ホッとするのだ。

2010年9月11日土曜日

太平洋が見たくて

目が見えない人に、夢を見るのか尋ねたことがある。失礼とは思ったが、夢は「見る」ものだと思っていたが、声が聞こえて指で触った時のような感覚が頭に出てくるという。
精神科の医師に、統合失調症の人が認知症になったらどのようになるか尋ねた。統合失調症の症状のうえに゜認知症の症状がかぶさってくるという。病気が入れ替わってくるが、同じ幻覚でも精神疾患と認知症とは区別できるらしい。高齢化とともに身体機能が低下し精神活動も低下してくると認知症状だけが現れる。統合失調症が治ると言うことですかと聞き直すと、発症するエネルギーがなくなるんだろうねと答えてくれた。
訪問する予定の施設に先天的聾唖でアルツハイマーの人がいるルと書いてある。どんな検査をしたらアルツハイマーと診断できるのだろうか。アルツハイマーの人は図形認識が苦手になる。手話が理解でなくなるのだろうか、訪問する前に好奇心が膨らむ。会ってみると、私の下手な手話に会わせて話してくれる。先天的聾唖者がアルツハイマーになったらどう感じるのか知ることはできなかったが、互いに久しぶりで手話で話すことを楽しめた。

2010年9月8日水曜日

晩夏

最初にお会いしたのは病院のベッドだった。ちょうどアナタのお誕生日でしたね。いくつになったのと聞いたら「33歳!」とおっしゃった。あの頃は寝返りができずに、お尻や背中や踵が床擦れで痛々しかった。自宅に戻って たくさんの介護者が出入りするのを 最初は嫌っておられた。ヘルパーさんにオムツもなかなか換えさせてくれなかったし、看護師さんもアナタのご機嫌を上手に取りながら床擦れの処置をしてくれてました。訪問入浴さんで半年ぶりにお風呂に入れた時は ご長男夫婦が仕事を休んでまで見守ってくれました。髭を剃って男前になったと奥様に褒められてピカピカの笑顔でした。そのうち少しずつ私たちにも慣れてくれて 玄関の呼び鈴に大声で「はぁ〜い!」と応えてくれるようになりました。福祉用具専門相談員さんと お弁当を持ってお花見に行く計画を楽しみにされてた。退院時は心配されていた白血球も2000をなんとかキープしながら それでも熱が出たら すぐに駆け付けて下さるドクターが心強かったよね。退院して7か月めに訪問リハのPTさんがケアチームに加わっ
て、さらにアナタは元気になっていった。床擦れも綺麗になって、寝返りを打てなかったのに 座れるようになり、車椅子に移れるようになり、立てるようにまでなった。あの時は嬉しかったね。あの時の「どうだ!」と言わんばかりのアナタの得意そうな顔を写真に収めておくんだったな。
今年の夏は暑くて暑くて 本当に食べなく..ううん、食べれなくなって 会うたびに痩せてしまったものね。白血球も1000まで減少して、ドクターに「できることをみんなでしてあげたらいいよ」と言われたとき、誰よりもアナタが一番頑張ってるんだ、って思った。
1年9か月の間、本当にありがとうございました。今年のコスモスが咲くより先に逝ってしまったから、一緒に見れなかったけれど。
帰るね、と挨拶すると「帰るんか..」と泣きそうな顔で言ってくれたことを ずっと忘れません。

2010年9月5日日曜日

遠距離介護

介護保険が始まってすぐ、認知症がある一人暮らしの老人宅を訪ねた。娘が帰省していて、大阪の自宅に引き取るという。母親は、台所に行ってお茶を入れてくると、どなたですかと初めてあったように訪ねる。娘と話している間に、玄関から外へ出てしまう。近所の人からどうにかしてほしいと娘に電話があったらしい。娘の家はマンションで、ひ寝間は共働きでも母親は一人で過ごすことになる。できるだけ介護度を上げて毎日デイを使えるようにしてほしいと言う。今まで住んだことのない都会で暮らすのはお母さんにとって良いことではないし、認知症の老人が同居すると娘さんたちの今までの生活が壊れますよと説明したが、翌日には大阪に連れ帰った。認知委結果を郵送する時に、娘に電話して近況を訪ねると、認知症が進行して部屋から一歩も出ない生活を送っている。疲れ果てた声で、これで毎日デイに行けますと礼を言われた。同僚と、なぜこちらで生活を続けさせないのだと、家族に批判的な話をしたことを覚えている。

認知症が始まった老親をどう介護するか、特に遠距離介護できるか、介護保険が始まっても難しさは変わらない。変更申請して1ヶ月過ぎるのにまだ結果が出ない。その間認知症による問題行動は、近所と家族を悩ませる。こんなことなら施設に入れようと、息子から電話がある。問題が起きたり受診する時には死せ桂家族に連絡がある。納得していない母親は、家に帰りたいと言い続ける。施設を追い出されたら、次はどこで住むことになるのか。遠距離介護をしたことで厚生大臣にもなった大学教授は、お金もあり休暇も取りやすかった。誰が同じことができるのかと愚痴が言いたくなる。
来月受診する日、格安切符がとれない。飼っている小鳥を世話する人がいないと息子から電話があって、あきれかえってしまった。