春雨の料理をテレビで観てる時、「鍋に入れると透明になる、白くて長いアレ、何だっけ」と奥さんが聞く。しばらく考えて「シラタキじゃない」と言うと「違う。原料が米で、娘が好きだったアレ」と否定される。次の日、スーパーの惣菜売場で「クズキリだ」と思い出したようだ。
思い出すのに時間がかかるのは、年のせいだから仕方ないが、思い出した事が思い出そうとしている事と同じだとどうして確認するのだろうと、以前から疑問で仕方なかった。パソコンやバイクを分解した後ねじや部品が見つからず、探し回ったあげく見つけた物が探していた物と一緒だったと確認するにはねじや部品を組んでみて正常に動くことで確認できる。しかし、思い出せない事や物を、記憶の中から拾い出して、これが「アレ」だったと確認するにはどのような作業が脳で行われているのか不思議で仕方ない。
今回の「葛切り」は、葛切りとともに娘が好きだったという情報が思い出されたから、思い出そうとしていた物だと確認できたのだろう。では、娘が好きだったのは別な物だったらどうなるのか。認知症の人は、覚えることができなくなるけど、覚えるためには記憶の中の何かと結びつける必要がある。「白い」「鍋料理の食材」「煮ると透明になる」「乾燥した物と生がある」「娘が好き」そして名前は「葛切り」「葛は芋みたい」「葛湯がある」などなど記憶していることのとつながって記憶の中にしまわれる。そのきっかけとなる記憶をたどれなくなると、思い出すヒントが少ないのではないか。
ちなみに、私は数字を覚えることができない。年号なんか意味のない数字が並んだだけで、覚えるためのヒントが全く役に立たないから、昭和になった年は何年かという問題に、昭和元年としか答えようがない。

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