2012年9月30日日曜日

中秋の名月は14番目の月

台風で大気中のゴミが無くなったから今宵の月は、きれいに見える。
朝晩はすっかり涼しくなって、秋の気配を感じる。
季節の変わり目は体調だけでなく、精神状態がおかしくなる人が増える。Yさんの娘から会いたいと電話が来る。以前担当していたケアマネに聞くと、毎年のことらしい。昨年は、母親が入所している老人ホームの玄関で裸になって暴れたらしい。「痴女」ですよと言う。満月の夜に、オオカミになるなるのは男だった気がするのだが。
今宵は月齢が14なのに十五夜というのも、おかしい。

2012年9月28日金曜日

明けの明星その2

ケアプランを担当していたディサービスに監査が入った。運営上の不備があったらしく、行政から私にも問い合わせが来る。寝耳に水、とは まさにこのこと。 〇〇さんと〇〇さんのケアプランを担当されてますね? 書類の提出をお願いすることになると思います、ご協力願います。・・・って・・・。 えーっ、そんなん急に言われても〜(*_*) 支援経過が・・モニタリングがぁ〜(T_T)
てな訳で その日は徹夜で書類を仕上げた。
明け方、事務所の外の自販機でコーヒーを買っていたら、左の空に明けの明星が見えた。
これが噂の明けの明星ね。(別に噂になってないけど)まっ、たまにはこんなんもいいか、と思いながら缶のプルタブを開けた。

2012年9月27日木曜日

恋する瞳

80歳を越えるOさんは耳が遠い。自宅では、憂鬱な表情をしているか寝ているかのどちらかの生活で、典型的な老婆だと見ていた。デイに行き始めて1ヶ月。息子から、母は毎日喜んで通っている。毎朝、お化粧し明るい色の服を着て、デイの車が迎えに来ると、膝の痛みも忘れて飛び上がって外に出て行くという。
母は、デイの職員に片思いしているようなんですと息子は笑顔で話す。私が人を好きなったらおかしいだろうかと嫁に相談したらしい。あの人の奥さんはどんな人だろうか。どんな人が好みなんだろうかとも聞くらしい。母は、ヨン様のファンだったからどんなハンサムだろうとデイに見に行ったら、ガレッジセールのゴリさんにそっくりだった。頑丈で男臭い人が良かったのかもと笑いながら語る。
それで、その職員がいることを確認してデイを訪問すると、開口一番「私はここから変わらんよ」と言う。隣に座った人を交えてデイでの様子を話している時も、目はその男性職員を追っている。お化粧して、明るい色の服を着たOさんはまさに「恋する乙女」だった。

義父へ・・

私たちが葬儀のあとの挨拶回りに奔走していると言うのに、義父は今ごろ天国で呑気にゴルフをしてるだろう。
でも二年間も頑張ったんだから それくらいは いいよね。
あれだけの癌だったのに、あまり苦しんだり 痛がったりもせず、義父らしい静かな最期だった。
『死に様がね、大事だから』と言ってたけど、お義父さんが私たちに見せてくれたのは 紛れもなく『生き様』だったよ。
本当にありがとうございました。そして お疲れ様でした。
ゆっくり休んで・・・と言いたいけど、先に逝って待ってた祖父や叔父たちと 久しぶりに盛り上がってるんじゃないかしら。 周りに人が集まってくるタイプだから、天国でも 忙しいかもしれない。

2012年9月20日木曜日

捨てられる

Tさんは元気だ。毎日近所の公園を1万歩以上歩くのが日課。デイを勧めても、あそこは老人の行くところというけど、もう80歳だ。病院に行ったこともないのが自慢。でもひとりで寝るのは怖いと娘たちが交代で泊まりに来る。昼間は、何度も娘の携帯に電話して来るのでつとめができなくなった。でも和都市は電話なんかしたことはない。料理も何でもできると言い張る。
Kさんも元気。自宅前の畑で野菜を作っている。ラッキョを市場に持って行かないと行けないと、娘を呼ぶが、娘が来ると何のために来たと電話したことを忘れている。料理することができなくなったのに、知られたくなくてヘルパーが来る時間になると家を留守する。
TOさんも元気。毎朝自宅前の国道を横切って100メートルの坂道を登って、運動公園を1時間かけて歩く。近くで働く娘たちにご飯を作らないといけないとデイへの誘いを断る。

こんな人が増えてきている。毎日1万歩以上歩いて健康に気をつけて病気はない。私たちより体力がありそうだ。このまま100歳まで生きるのだろうなと思う。共通しているのは、自分は何でもできると言いつつ、子供たちに頼っていて、それを忘れたかのように振る舞う。介護サービスを遣うことは、子供たちから捨てられると受け取ることも共通している。
素直に、自分はできなくなったと言えれば良いのに、そうしたら健康に気をつけてきた努力は意味がないかのように感じるのだろうか。子供たちが私の面倒を見るのが当たり前なのに、他人が私の世話をすると言うことは、子供たちが私を見捨てたと言うことなのと言いたいのだろうと思う。
頭の中では「姥捨て山」は現実の事なんだろうね。



2012年9月19日水曜日

カエルの子

息子も娘なんて近くにいてもアテにならない。始めからアテにはしてないけど、あんなに薄情とは思わなかった。コツコツ溜めたお金も 死ぬまでに使ってしまおうと思う。子供らは入所させようとしているが、今後いっさい、子供の言いなりになんてならないことにした。僕は好きなように生きて行くよ。僕から 子供に連絡なんかしないでおこうと思う。いや、心配するかもしれないが、少し困らせてやったら ちょっとは改心するかもしれないからね。

私は彼を担当して四年になるが、その間、息子さんや娘さんの言うとおりにしたことなんかはただの一度もなかったような気がするのだが・・・(-_-)?

夜、彼の長男と話しをする。

親父は知ってるとおり、そうとうな頑固者ですからね。僕らが何かしてあげても、ありがとうも言わない。振り回すだけ振り回しておいて、結局は自分の思うようにしかしませんしね。親父に付き合っても骨折りなだけで文句ばかり、何も進歩がないんですよ。わかるでしょう?この際、しばらくは連絡するのも世話を焼くのもやめようかと思ってね。いや、もちろん死なない程度に(笑)。少し困らせたら ちょっとは改心すると思うんですよ。

さすが親子だわ。同じコト 考えてるし。似た者同士、どっちもどっち。前に進めない。最後は二人とも『その間(お互いが困らせてる間)は 頼みますよ』と言う。その間・・って 四年間 ずっとじゃんか(ノ><)ノ、と心の中でツッコミを入れる。

2012年9月17日月曜日

明けの明星

こんな病気になって初めて健康であることのありがたみを知ったわ。痛くて眠れないときは 窓から明けの明星が見えるのよ。家にいたら見ることもないのに、東向きの病室にいるお陰で 見えるものもあるの。

彼女は自分に言い聞かせるように言う。 私は横で頷くしかできない。

義父の闘病も二年になる。
お義父さんがしんどい思いをして私たちに勉強させてくれている。こんな病気になったから 親孝行の真似事もさせて貰える、お義父さんにに感謝しないと・・・と家人と話しをする。 そう自分たちに言い聞かせる。

健康のありがたみが分からなくていい。 勉強させて貰えなくていい。 親孝行の真似事ができずじまいでもいい。 義父が病気にならなかったら それでよかったのに、と 寝顔を見ながら思う。

2012年9月10日月曜日

ワイルドだろう


早朝というより未明、Fさんから電話がかかってきたのは、先々週のこと。起き上がれない。何もできないので病院に連れて行って欲しいと弱々しい声で訴える。訪問すると、トイレに行こうとして転倒し、左の腰が痛いという。その割には左を下にして寝ているのが気になるが、転倒と聞いて大腿骨頸部骨折を疑うのは常道。そんなこともあるかなと思いながら救急車を呼んだ。


以前から、靴下のままでは歩きたくないぐらいに汚れた部屋だったのに、布団は便と尿の失禁でしっとりとした上にひどく臭う。トイレまでの床には尿の水たまりができて、それを下着で拭いて丸めて置いてある。枕元には、食べかけのご飯や缶詰などが散乱している。駆けつけてくれた救急隊員もつま先立ちで移動している。とりあえず、入院のために下着やタオルを袋に詰め、紙おむつとティッシュを抱えて救急車に乗せる。運良くかかりつけの医院に外科医が来る日だったので救急車は古い医院に搬送してくれた。胸椎の第12番目が圧迫骨折しているとの診断を受けてから、お世辞にもスマートとは言えないFさんは担架に乗せられ、階段を上がって病室に運ばれた。同僚を呼んで部屋の大掃除と、洗濯を汗だくでして事務所に帰った。



翌週、医院の看護師から、こちらの指示に従わないし廊下は歩いているので退院させますと電話があった。栄養剤を水代わりに飲んで、腰が痛いから痛み止めを欲しいとひっきりなしに訴えたりすることでもてあましたらしい。本人は、ここの看護師は親切じゃないから、以前検査入院した病院に移るのだと言う。寝返りも打てないのに、口は達者だ。退院の翌日ヘルパーさんに来てもらい、どうしても生活できなかったら入院しなさいと助言して帰る。



2日後、知り合いの病院に入院受け入れを頼んでからFさん宅に向かう途中でヘルパーから、訪問したら救急車が来ていた。どうしたらいいですかと電話が来る。到着すると、新しくできた廊下の水たまりを横目に見て、失禁してますね。本人がいないので帰りますと言い消えた。病院取り打ち合わせより早い時間だったので、別の病院に搬送することになった。大きい総合病院は、入院と検査のための家族の同意書が必要だとストレッチャーに乗せたまま待たせている。子供は7人いるが、市内には2人しかいない。1人は精神科に入院中なのでもうひとりの絶縁中の次男に電話するが、取り付く島もない。サインだけでも良いからと、説得を続け来てもらうが母親のいる部屋にも近づかない。



入院してから、ソーシャルワーカーから上履きがない。杖がないと毎日のように電話があってその都度カギを預かってから家に行き届ける。今度の病院は親切だと、おとなしくしていたのに、1週間後の土曜日ソーシャルワーカーから電話がある。知人が迎えに来ていて退院の準備をしている。歩行器移動のレベルだけど、医師も諦めて退院の許可を出した。



まだ歩けないのに退院してやったぜ。ワイルドだろう。