2012年9月20日木曜日

捨てられる

Tさんは元気だ。毎日近所の公園を1万歩以上歩くのが日課。デイを勧めても、あそこは老人の行くところというけど、もう80歳だ。病院に行ったこともないのが自慢。でもひとりで寝るのは怖いと娘たちが交代で泊まりに来る。昼間は、何度も娘の携帯に電話して来るのでつとめができなくなった。でも和都市は電話なんかしたことはない。料理も何でもできると言い張る。
Kさんも元気。自宅前の畑で野菜を作っている。ラッキョを市場に持って行かないと行けないと、娘を呼ぶが、娘が来ると何のために来たと電話したことを忘れている。料理することができなくなったのに、知られたくなくてヘルパーが来る時間になると家を留守する。
TOさんも元気。毎朝自宅前の国道を横切って100メートルの坂道を登って、運動公園を1時間かけて歩く。近くで働く娘たちにご飯を作らないといけないとデイへの誘いを断る。

こんな人が増えてきている。毎日1万歩以上歩いて健康に気をつけて病気はない。私たちより体力がありそうだ。このまま100歳まで生きるのだろうなと思う。共通しているのは、自分は何でもできると言いつつ、子供たちに頼っていて、それを忘れたかのように振る舞う。介護サービスを遣うことは、子供たちから捨てられると受け取ることも共通している。
素直に、自分はできなくなったと言えれば良いのに、そうしたら健康に気をつけてきた努力は意味がないかのように感じるのだろうか。子供たちが私の面倒を見るのが当たり前なのに、他人が私の世話をすると言うことは、子供たちが私を見捨てたと言うことなのと言いたいのだろうと思う。
頭の中では「姥捨て山」は現実の事なんだろうね。



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