2009年6月8日月曜日

放蕩息子の帰宅

知人のご主人がガンで亡くなった。一昨年、入院した時、手術の怖さから病室に神父を呼んでいたから、キリスト教信者とは知っていた。2週間前、自宅を訪ねた時、長い話では意識が集中できないようだった。それでも、海外旅行に行きたい。新しいデジカメが欲しい。だけど、この人がケチで、と奥さんを見る。父親が残した財産で新しい事業を始めては失敗し、建てたビルも二束三文で手放さなくてはいけなかった。
告別式の時、息子が喪主として挨拶した。「…壁にレンブラントの「放蕩息子の帰宅」の絵が飾ってありました…」と言った時、母親が息子の方を厳しい目つきで見た。さすがに、別な話に切り替えたが、定職についていないあんたに、父親のことを放蕩だなんて言われたくない、という気持ちがあったのかもしれない。

「放蕩息子の帰宅」は、生前に財産を分けてもらった息子が放蕩して、無一文になって父親の元に返ってきた時の様子を描いている。同じく、財産を分けてもらっても、自宅で地道に仕事をしていた兄は、弟を喜んで迎える父親に不満を持つ。父親は、弟の方にこそ許しが必要だと説く。
親鸞聖人は「悪人正機」と言った。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という言葉で紹介される。良いことだけをする人はいない。悪いことをしても神は許してくれるのだと考えないと、信者はいなくなってしまう。

賛美歌を聴きながら、最後まで海外旅行に行きたいと言っていた彼に、鹿児島のスーパーで椰子の実が売っていたと話していた時の事を思い出していた。

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