2009年6月28日日曜日

どうしたら

認知症の女性。グループホームに入所していたが、肺炎の疑いがあり入院、胃瘻増設になった。グループホームは、医療的処置が必要な人は介護できないと、退所を迫り、住民票も移された。子供たちは、要介護のために遠い県に住む孫がお金や、手続きなどの責任を負うことになった。ところが、病院の支払いなどのために本人の通帳からお金をおろそうとしても、孫ではダメとと言われた。それではカードを作ってと思っても、本人を連れて来ないとダメだと言う。今後こんなケースは増えるだろうけど、社会の仕組みは面倒になるばかりだ。
後見人制度にしても、誰が申し込むのだろう。
認知症の人を銀行に連れて行っても、本人だとどうして証明して、委任状をどう書いたらいいのか。

グループホームや病院の職員ならお金を下ろして、孫はダメというのは身内間のトラブルを怖れての対応なのだろうが、変だ。
本人が死ぬまで、通帳には年金が貯まるだけになる。

2009年6月24日水曜日

犬を干した人

オリバー・サックスという神経学者がいる。「レナードの朝」の原作を書いた人。サックスの本に「妻を帽子と間違えた男」がある。認知障害の男が、妻を帽子のようにかぶろうとしたという例を書いている。

認知症の女性は、犬を物干しにぶら下げていた。犬に藁を食べさせようとしていたこともある。本人と話すと、シャツは日に当てないといけない。山羊は藁を食べさせないと乳がでないと、なんでそんなことを聞くのかという顔をして、息子は農業をしたことがないからわからないのだと言う。
彼女には、真っ白な犬が、白いシャツに見えたり、白い山羊に見えるのだ。息子は、水槽にみそ汁を入れるから金魚が何度も死んだと言う。彼女には、金魚が猫と同じに見えるのだ。昔は余ったご飯にみそ汁をかけて食べさせていたから。息子には、とても受け容れられない説明だったようだが、だからこそ認知症なのだと思った。

2009年6月21日日曜日

右左

認知症の人の徘徊は、左廻りが多い。
調子が悪い時は右肩が下がる人がいる。
右片麻痺の女性は、失語症にならない人が男性より多い。
右翼の街宣車が人目のある所に駐車しているのは、落書きされないため。

観察力は必要だけど、昨日の演習は、自分が相談員となってとりとめのない相談を受けて、それを録画してみんなで検討するというもの。自分の顔を映し出されるのも嫌だし、自分の声を聞くのも嫌なのに。それよりも、あっ口に手を持って行ったのは何かごまかそうとしている。視線が外れた。右上を見るのは嘘をついている証拠だ。指を動かし始めたのは、相談内容にうんざりして早く終わらせたいとしているな……他の受講生よりひどい態度だ。非常に疲れた。帰りの電車に、目の保養になるような女性は乗って来なかった。
もっと良いものを観察したかった。

2009年6月18日木曜日

2009年6月15日月曜日

福祉のプロ

今朝も、おじさんが大声でワーカーを叱っている。
「ワシはな、20年も保護をもらって暮らしている。4月から来たようなお前なんかよりずっと詳しいんだから、ワシの言うとおりに出してくれればいいんじゃ」
むかし、リウマチの女性が、私はこの病気と40年もつきあってきた。だからどうして介助したらいいのか私が一番知ってますと言った。

2人とも福祉(を受ける方)のプロだと思うけど、おじさんの言うとおりにしてたらお金がいくらあっても足りないんだけどな

2009年6月11日木曜日

年齢不詳

先週のスクーリングでのこと。講師が、「養老院」について知っている人? 誰も答えないので、説明した。生活保護法の前身である救護法によって作られた施設であること。だから、一般の低所得の人よりも低い生活水準の生活を強いられた。へんぴな場所で、平屋の長屋で、畳の部屋に数人が暮らし、共同の洗面所、風呂、トイレなど、戦後の貧しい水準よりもさらに貧しい暮らしで、子供から見捨てられた人が入るところだったと、説明した後の講師の説明が気にくわない。「若い人は知らなくて当然ですよね」。エー 私が戦中派みたいじゃない。田舎では、40年代まで養老院が養護老人ホームと看板を掛け替えただけであったんだから。

そういえば、国際障害者年の時は、テレビでゴダイゴがテーマ曲を歌ってね、と説明すると、私たちまだ生まれてません、と返されたことがあった。
高齢者を理解すると言うことは、高齢者が生きてきた時の事を理解しようとすることなんだから、昔のことを知っていて当たり前なんだぞ。

今度のスクーリングでは、できるだけ黙っておこう。

2009年6月9日火曜日

ヘルプマン

男性週刊誌「イブニング」に連載されているコミック。女性が、男性週刊誌を買うのは抵抗があるかもしれないが、単行本のコミックなら子供に読ませたいから、という顔をして買える。
認知症のお父さんの気持ちを理解して、落ちついた生活を取り戻すというストーリー。
この通りになることは少ないかもしれないが、心の余裕を持つことができると思わせる本。

2009年6月8日月曜日

放蕩息子の帰宅

知人のご主人がガンで亡くなった。一昨年、入院した時、手術の怖さから病室に神父を呼んでいたから、キリスト教信者とは知っていた。2週間前、自宅を訪ねた時、長い話では意識が集中できないようだった。それでも、海外旅行に行きたい。新しいデジカメが欲しい。だけど、この人がケチで、と奥さんを見る。父親が残した財産で新しい事業を始めては失敗し、建てたビルも二束三文で手放さなくてはいけなかった。
告別式の時、息子が喪主として挨拶した。「…壁にレンブラントの「放蕩息子の帰宅」の絵が飾ってありました…」と言った時、母親が息子の方を厳しい目つきで見た。さすがに、別な話に切り替えたが、定職についていないあんたに、父親のことを放蕩だなんて言われたくない、という気持ちがあったのかもしれない。

「放蕩息子の帰宅」は、生前に財産を分けてもらった息子が放蕩して、無一文になって父親の元に返ってきた時の様子を描いている。同じく、財産を分けてもらっても、自宅で地道に仕事をしていた兄は、弟を喜んで迎える父親に不満を持つ。父親は、弟の方にこそ許しが必要だと説く。
親鸞聖人は「悪人正機」と言った。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という言葉で紹介される。良いことだけをする人はいない。悪いことをしても神は許してくれるのだと考えないと、信者はいなくなってしまう。

賛美歌を聴きながら、最後まで海外旅行に行きたいと言っていた彼に、鹿児島のスーパーで椰子の実が売っていたと話していた時の事を思い出していた。

2009年6月2日火曜日