2009年3月28日土曜日

介護は家族?

認知症がある一人暮らしの男性を後任のケアマネに引き継ぐために訪問した。家族も同席して話した後ケアマネに感想を聞いた。家族が訪ねてきてくれるのがうれしいと言われていたから、もっと家族との関わりを増やすようにしたらいいと思うとのこと。家族とのつながりを大切にする、と言うのが日本の介護では常識のようになっている。他人である介護者がいくら熱心に介護しても、家族でなければできないことがある。だからといって、家族が介護すべきという事にはならない。何につけても適度な距離というのが必要で、家族が疲れず、本人が色々な人が自分のことを気遣っていてくれると実感できるように家族と他人が協力することが大切なのだと説明するのだが、伝わったものか心許ない。

引き継ぐと言うことは、後任にすべてを任せるとことなら寂しい。

2009年3月27日金曜日

覚悟 2

「このままでは私が壊れてしまう、母を入所させたい」長女の訴えは悲痛だった。この家は これまでの家庭環境の経緯から 長女の息子(利用者の孫)に発言力がある。しかし主介護者は長女なのだ。これまでショートスティの話しが出ても 孫が頑として断った。「自分の親くらい看れるだろ」のひと言で 長女は折れて来た。入所の話しも何度か出たが 結局はうやむやになった。
「親を看ようと言う覚悟がないと息子に言われるの・・」
在宅で介護できたら一番良いかもしれないが、それには 介護者に相当の覚悟は必要である。しかし入所を決めるにも 覚悟が要ることだ。
1時間余り長女の訴えを聞いたが、結局は入所には踏み切れず、話しの最後はショートスティに思い留まっていた。
「私にも私の人生があるのよ」と言う長女の言葉は 隣の部屋にいた利用者本人の耳にも届いていた。

2009年3月26日木曜日

覚悟

3年前に夫を亡くした人と話した。今だったら家で最後まで介護しようと思うでしょうかと尋ねたところ、こんなに大変だと分かっていたら介護できない。そんな覚悟はないという。
今まで看病も介護も、葬式さえもあげたことがない家族だから、ベテランの看護師と理学療法士が訪問するようにして、看護師が信用できると思うヘルパーに時々来てもらった。いつでも診察して入院してくれる病院も近くに探した。看護師たちは内科が専門だから介護は不得手だったが、いつも丁寧な言葉遣いで接してくれた。胃瘻の管が詰まった。痰が詰まって苦しそうだという時には、訪問看護師はパジャマのまま駆けつけてくれた。自宅で暮らすには、ポータブルトイレで一人で排便排尿できること。歩けなくても畳みからベッドに移動できること。しゃべれなくても、文字が書けなくても自分の意見を伝える方法を工夫することと、そのような目標を立てて取り組んできたから、前日は訪問リハビリのためにひげを剃って待っていた。朝方、いつもより早く起きたので夫婦で今までの事を話していたら、返事が聞こえなくなって妻が顔を覗くと息をしなくなっていた。看護婦が駆けつけて病院に搬送したが、本人が希望していた無理な救命措置はしないで、医師は死亡を確認しただけだった。

介護を支援したケースとしては成功だったと思っていたが、残された妻は今では介護する覚悟はないという。介護の大変さを分かったからだという。富士山に登った時は、霧に包まれていたので一歩ずつ進んだらいつの間にか山頂に着いていた。しかし、遙か彼方に山頂が見えれば登山しようと思わないということなのかと思った。

2009年3月23日月曜日

施設見学

入所を検討している利用者家族とともに施設へ見学に行く。館内の案内が先かと思ったが、施設職員は受付簿を持って来て いきなり利用者の聞き取りを始めた。住所、名前、既往症等々を聞きながら ご本人に一度会いに行きたいので ご都合の良い日はいつですか。と言う。家族はまだその施設に入所を決めているわけではないので、まずは施設の案内や施設の理念等を説明するのが先だろうと思うのだが。料金の説明もせず、家庭訪問する日を決めようとする職員に圧倒されて 家族は「こちらが選ぶ立場ではないの?」と こっそり私に耳打ちしてきた。
45人が入所できる住宅型の有料老人ホーム。静かな環境で建物も新しい。利用者家族もこまめに面会に来れる距離。木目をふんだんに使っており 落ち着いた雰囲気。併設するディサービスもあって、わずかだが機能訓練の設備もある。
料金設定はどうなっていますか、と私が質問してやっとパンフレットに挟んである料金表を差し出した。料金表を見ても家族には一目ではわかりづらいのだから十分に説明をしないと・・(-_-)
決めるのは利用者であり、その家族である。でも私なら大事な家族を預けないだろう。ここでの一日の生活はどんな感じなのか、職員はどんなことに気を配って介護に臨んでいるのか・・。1番知りたいことを説明しない施設職員の対応が残念だった。

2009年3月22日日曜日

入所

ベッド横にポータブルを置いて リハビリをすれば歩けるようになる可能性も高い。日中、ディサービスに行けば家族の負担軽減になるし、多少の段差を解消すれば歩行器でダイニングテーブルまで移動して家族と食事も摂れるようになるだろう。入院前は杖で難無く歩いていた。ひと月の入院中、全くリハビリを行うことなく退院させられ、尿便意があるのにも関わらず今はベッド上でオムツをしている。これからはオムツを外して行きましょう、と提案していたが 家族は退院したら入所させるのを決めていたと言う。まだ在宅で行ける範囲だと思うのだが・・。看るのは私ではないから それも言えない。家族がギブアップだと言うのだから しかたないと思っても まだ退院して3日しか経っていないのに。これから頑張ればきっと筋力も戻るし、前の生活に近づけるように とりあえずは、いろいろ試してみては?と言ってみた。看るのは無理。すぐに入れるトコで家から近い所を探して欲しい。・・と言われたら そうするしかないのかな・・(;_;)
父はボケてないからグループホームは無理ね、少し高くても構わないわ。・・ご本人の意見を聞いてみては?・・と言ったら、父に聞いてもわからないわよ。・・さっきボケてないって言ったじゃない(T_T)
じゃあ元気になったらまた自宅に帰ることを目標にしましょう、と言うのが精一杯だった。
私の力不足なんだろうか・・と申し訳なく 悔しかった。

2009年3月21日土曜日

不意打ち

先週病院の研修会に参加した。嚥下障害についていささか専門的すぎる勉強会だったが、誤嚥性の肺炎を繰り返す人を担当して、造影検査などに付き添っていたので復習みたいな感じを受けた。飲み込みに障害がある人には、鼻からチューブで栄養を流し込む方法は自分は良くないと思うと、医師が説明している時に、不意に父のことが思い出された。小脳出血で飲み込みができなくなった。点滴を無意識に外すからとベッドの柵に縛られていた。医師とけんかして救急車で知り合いの病院に転送した。しばらくして、どうして栄養を摂るかと家族に相談があった。鼻からチューブを入れるとばい菌も増えるから嫌だと医師に言って、胃瘻にすることにした。その時に父親に説明したり相談したか、どうだったのか不意に思い出した。胸の中の不安な気持ちの塊は、父に説明しないで息子が勝手に決めたことをとがめているからなのか。研修会で講演した医師の意見が自分と同じだったことが救いに思えるが、逆な立場だったら自分は納得して胃瘻を造っただろうか。時々、不意打ちのように亡くなった人が、頭ではなく胸に浮かんでくる。

2009年3月14日土曜日

趣味

老人住宅の管理人から電話があった。2月の終わりに本人から頼まれて10万円下ろしたのだけど、本人の財布に入っていない。友達だという人が来て話していたので、だまされているのではないかと心配しています、との事。友達もちょっと変な人だし、内緒で話していたので疑われても仕方ないかなと思いつつ説明した。元気な時は友達と一緒に競輪や温泉に行っていたから、きっと競輪に一緒に行って10万円をすってしまったんじゃない、というと、3月3日に2人で外出したし、帰ってから機嫌が悪かったのはそのせいかと管理人は納得した。春になったら友達と一緒に温泉に行けるようにリハビリをしようとケアプランを作ったけど、訪問リハビリと自分でできる運動に熱心に取り組んでいたのは競輪に行くためだったか。
今入院中の男性。在宅酸素で腹膜透析が必要。腹膜透析を寝ている時間にできるように訓練している。えっ以前は熟睡できないから昼食後に透析すると言っていたじゃないかと尋ねると、電動車椅子にボンベを積んだら競輪に行けるかな?と逆に尋ねられた。
在宅酸素が必要な要支援の男性。毎日碁会所に行くのが生きがいだ。家に閉じこもっていたら頭が呆けると言うので、「毎日碁会所に通うのを日課としているため」と利用を書いて市役所に電動車椅子のレンタルの申請を提出したら認められた。

生きて行くには楽しみが必要だ。時には娯楽が生きる目的になる。

グライダーで飛ばなくなって何年になるだろうか。メタボリックの体型と体重では否定はできないが、「飛ばない豚はただの豚」になってしまった。

2009年3月13日金曜日

キリスト教徒ではないけど

13日の金曜日には良くない事が起きる。2月13日もひどかったが、今日はネットで捜し物をしていたら、高齢者住宅での訪問介護で指定取消というのを見つけた。おかしいと思いながらも、他の人に倣って同じようなケアプランを立てていたので慌てた。事業所に連絡をして、ケアプランを変更してと走り回ることになった。介護保険では不正を防止するためと、支出を抑えるための決まり事が多すぎる。そして、県によって解釈が異なる場合があるとぼやくが、今回は最初におかしいと感じたことを突き詰めるべきだったと後悔した。

我が家は浄土真宗で、四柱推命の占いでは良い日だったのにと嘆くが、だからケアプランの間違いに気づいたのだとプラス思考で考えることにしよう。

2009年3月11日水曜日

監査

監査なんて よその事業所の話しであって ウチの会社とは縁のないものと思っていた。まさに青天のへきれきとはこのこと。県に通報された利用者のクレームにより、監査が入ることに。今からでも行きますが・・とのお達しに 今日はこれから出かける予定があるので・・と電話を受けた提供責任者の都合に合わせてくれて 明日 県の方々が朝からお出ましになる(-_-)花粉もたくさん飛んでるし、わざわざお出で頂かなくても結構なのに。
車を走らせている時にパトカーを見ると悪いこともしてないのに ドキッとするあの感じだ。
だけど 確かに顧客数は多いが思い当たる節がないと言うのが 1番の問題なのだろう。「ヘルパーさんが何もしてくれない」と言うクレームだそうだが、何もしないってコトが有り得るのか・・。ケアマネでも提供責任者でもなく、保険者や県に通報するほど 利用者に苦情を抱えさせていたのか・・。リスクマネージメント・・日々の忙しさにかまけて、確かに真剣に取り組んでいなかったかもしれない。自覚が足りなかったコトを気付かせてくれた いい機会だと思って 明日は真摯に対応しよう、と思ったりしている。
・・・だけど やっぱり気が重いな(-.-;)

2009年3月8日日曜日

寂滅

自宅の近くの施設に1年以上ショートステイしていた女性は、お菓子が食べたい。買ってきてくれ。用事があると言っては、施設職員に電話を掛けさせ些細なことでお嫁さんを呼んだ。お嫁さんは自営の工場の会計をしていたが、仕事に関係なく電話がかかってきて、遅れるとひどく怒られた。私は、嫁いだ時から女中としてしか見られていない。こき使わないと損だと思っているんですよと、会うたびにぼやいた。頼りに思っているからお嫁さんの名前は忘れていないんですよ。心の中ではきっと感謝していますよ、と慰めるが、今まで感謝されたことなんて無い、と諦めていた。いっそ認知症が進んで電話を頼めなくなるといいのにとも言った。

ある時、お嫁さんは、「ありがとう」って言われたと困惑していた。そしてその二日後に義母は亡くなった。葬儀の後、「ありがとう」と言ってくれなかったら、ずっとひどいお母さんと思ってられたのにと悔しそうだった。あの一言で、今までの意地悪やひどい言葉が浄化されたのだったら悔しいと言う。

「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」の中で、「危篤状態の人が、急に明るい柔和な顔になり、『ありがとう』と言ったり」することを寂滅(涅槃)を得たと言う」と書いてあった。仏になった人を憎むなということなのだろう。

2009年3月7日土曜日

夫婦

アルツハイマーと診断を受けた時、彼女はまだ60代だった。昔から穏やかでおとなしい性格は今も変わらない。さっき話したコトも忘れてしまう。簡単な質問に対しての応答もちくはぐだ。言葉がなかなか出てこない、手にした物の用途が分からない。でも常にニコニコ笑っている。隣に座ったご主人がぽつんと言った。これから老後を二人でのんびり、と思った矢先のことだった。がむしゃらに仕事して家族を養って来た。自分が70になった時、妻の介護が始まった。
このご夫婦は お二人とも私の両親と同じ歳だ。72歳と70歳。どうしても自分の両親と重ねてしまう。
だけどね、妻は昔から私に口応え一つしない女性でしたよ。認知症になっても私に口応えしないんですよ。それが可哀相でね。これが僕の人生の集大成なんですかね・・。
隣で座っている彼女は夫が自分のことを話していることを理解できない。何か話しているのだと思って ちくはぐな相槌を打ちながら、ただニコニコ笑っていた。

仏心

「いねっ」と言われた時、方言の意味は解らなかったが、険しい表情から、早々に退散した。長男は、結婚して近所に挨拶廻りしたら、行く必要ないと怒られ実家から追い出されて、夫婦して車中で夜を過ごしたと語る。早くに夫を亡くし、子供二人を育てるためにがむしゃらに働いてくる中で、性格は一層頑なになっていった。体が不十分になると、人の世話にならないと自殺を企てた。デイやショートステイを奨めるケアマネは、怒りの対象だったろう。病院で嫁と会った時、珍しく笑顔を見せた。嫁は、珍しく笑って気持ちが悪いと、笑い返した。その翌日、亡くなった。お通夜では、どんなに性格がきつくて怒鳴られたか、みんなで笑いながら話していた。

2009年3月5日木曜日

昔の名前で

写真は、昔の郵便局がカフェになった「風の港館」。局の名前とマークも残っている。

認知症がある一人暮らしの男性の訪問調査に立ち会った。

表情は硬いが、普通に会話はするから調査員も簡単だと思ったのか、いつものように質問を始める。お年は?分からん。いつもはどこかに行かれますか?どこにも行かん。隣に座っている人は誰ですか?知らない。このあたりで動揺が見られる。いつもの生活は?廊下で器械の上でこうやって歩く。

食事を食べたこともすぐに忘れる。息子に電話をかけて、あんたは誰やと尋ねる、バリバリの物忘れ。でも、徘徊もしないし、デイでは食器の片づけを楽しんでしてくれている。朝夕入るヘルパーさんとデイで今の生活が保たれているが、それでも介護保険では足りない。問題が出ないようにサービスを充実させたら、問題の無い認知症として介護度が下げられる可能性が高くなった。もし下がったら施設入所しかなくなる。自宅のトイレに行ける間は自宅での生活を続けさせたいと願っているのだが。

2009年3月3日火曜日

ひな祭り

見ているおばちゃんが、私の小さい時のおひな様にそっくり、と言う雛は「大正時代の雛」と書いてある。いくつになってもおひな様は女性のあこがれなのかもしれない。

2009年3月2日月曜日

HUG

最近 表情も明るく言葉もたくさん出る。笑顔でヘルパーさんを迎えてくれるし、ディサービスも楽しみにして出かけている。今回の認定更新では介護区分は下がるかもしれない。
今朝、彼女の長女と電話で打ち合わせした中で聞いたのだが、朝 起床介助の時に必ず おはよう、と言って母を抱きしめることにしたのよ、と話していた。最初は驚いていたけど、毎朝抱きしめていたら、母が今度は私を抱きしめたの。今は挨拶がわりに仕事から帰っても抱きしめてるのよ。
やっぱり家族の力は凄いな。数か月前まで 話しかけても俯いたまま頷いていた彼女が こんなに元気になったのには 理由がちゃんとあったんだ。
いくつになってもHUGは嬉しいものなんだな。
私の母も未だに実家に帰った時はHUGしてくれる。今日 娘が学校から帰った時 HUGしてみた。愛犬にもHUGしてみる。息子にHUGしてみたら 少し太った?と言われた(-_-)
お金もかからないし、数秒で済む。認知症の方も喜ぶ。一石二鳥、いや 三鳥。試してみる価値があると思う。

勘違い

土筆が出てきた今日、気温は7度。カレンダーを見て春だと勘違いしたのではないか。昨日新しいデイサービスの内覧会に行った。説明してくれた職員が、「どこか使われているのですか?」と尋ねる。一瞬意味が分からなかったが、利用者と勘違いされたようだ。

これは今までの私がしてきた失礼の罰に違いない。確かに、デイの職員に、「少しはお化粧してきた方がいいかもね」と言ったことがある。老健で椅子に座っている高齢者に、認知症だと思って話しかけたら、医師だった事もあった。娘に、「あなたと同じぐらいのヘルパーならお父さんが手を出すことはないでしょうから」と紹介したヘルパーが、母親の友人だったこともあった。そのほか、自分でも気づかない失礼があったかもと反省する。

2009年3月1日日曜日

愛嬌


Mさんに会う人は みんなマスクをしている。白血球が2000個しかなくて よく熱を出す。訪問看護師も訪問ヘルパーも家族も、マスク越しに話しかけているので 彼はちょっと淋しいようだ。
今日は顔色がいいね。 そりゃあ よくなくっちゃいけないだろう! ご飯はたくさん召し上がってますか? 飯を食わんでどうするんや、ちゃんと食べよるわ! 床ずれも ずいぶんよくなってよかったね。 そんなもん、すぐ治るわっ!
彼の返答は ぶっきらぼうだが、子供みたいにくるくる変わる表情になんとも愛嬌がある。
もう3月になるわよ。 ワシは何月でも 関係ないがっ! もうすぐ桜が楽しみよ、その頃は車椅子で外に出れるようにならなきゃね。 そんなんわかっとるわ! 横で聞いていた奥さんが ごめんなさいね〜と フォローを入れる。
また顔を見に来るね、と言うと ・・・帰るんか?と言う。 また来るけど今日は帰るわね、と言うと 彼は黙って窓の方を見て顔をしかめた。・・・泣いているのだった。泣くのを堪えながら ありがとう、と言う彼は 本当に子供のように愛嬌がある。
毎日 介助に入っているヘルパーさんや看護師さん、訪問入浴さん、福祉用具事業所さん、もちろんご家族のたくさんの愛情が感じられる現場。早くマスク外して たくさんお喋りしたいねぇ(^-^)